選考会

遊戯王 日本代表選考会の歴史

遊戯王 日本代表選考会の歴史

選考会とは?

みなさん選考会という言葉を聞いたことはあるでしょうか?選考会とは毎年行われる遊戯王の世界大会 World Championship に出場する日本代表選手を決めるための大会です。世界大会に出るにはこの選考会で上位に入らなければならず、この選考会に出場するためにも厳しい予選を潜り抜けなくてはいけません。

今回はその選考会の時代毎の変化を考察し、遊戯王の競技イベントの過去と今を掘り下げていきます。さて 現在まで17回開催されている遊戯王の世界大会 World Championship その始まりは2003年までに遡ります。

1999年2月から始まった遊戯王OCG、アニメも放映されその人気は爆発。カードの売り上げも右肩上がりの状態が続き、その人気に後押しされ海外でもアニメが放映開始。そのアニメも各国で大好評で、そして2002年3月には海外版の遊戯王カードも発売されました。これにより世界各国様々な国で遊戯王カードが広がっていき、2003年に初めての世界大会も開催されました。

国際大会としての始めての大会は2000年夏に開催されたアジアチャンピオンシップです。この大会では日本の全国大会優勝者・準優勝者と香港・台湾の優勝者が争いアジアナンバーワンを決めるという流れで、この時点ではまだ遊戯王カードはアジア圏のみでの盛り上がりでした。

2003年 デュエリスト キング トーナメント ワールドランキング戦 (大会ルール) (Webアーカイブ)

さて、その世界大会に出るためにはどのような手順が必要だったのか。当時のアーカイブを見てみると、およそ2カ月間の間の公認大会での成績が上位だった100名が日本代表最終選考会へ出場でき、そこでさらに勝ち上がった上位プレイヤーが世界大会で日本代表として戦うという図式になっています。一週間に大会に出れる回数は最大2回までで、全てトーナメント形式での開催でスイスドローは不可なので、純粋に強い人しか勝ち上がる事が出来ない素晴らしい選考形式だと思います。

WCS2003は日本を飛び越えて世界中のプレイヤーが集まり世界一を決めるイベントということもあっておおいに盛り上がりました。

2004年 Elo採点方式の導入

そして2004年になるとルールは少し変化、レーティング制の導入が始まります。

Elo採点方式
Rn = Ro +16(W-We)
Rn = 新しいレーティング、または個々のマッチレーティングの計算の最終結果
Ro = 古いレーティング マッチがスタートする前のレーティング
W = 勝利時のポイントはマッチのポイントの合計 (勝利3点、ドロー1点、負け0点)
We= 勝利の確率

このレーティング制を簡単に要約すると、公認大会に参加し、勝つと+36ポイント負ければ-12ポイントです。自分のレートが高く相手のレートが低い場合などは多少ポイントに差異がうまれますが大体これ位が目安です。ポイント集計期間は3月~6月位までの3か月間程度。レートの初期値は1000でこの値をどこまで伸ばせるか。そして全国トップ100に入れるかが重要になってきます。

激戦を乗り越え、ロサンゼルスを目指せ! (Webアーカイブ)
~新IDの配布とランキング概要~ (Webアーカイブ)
ランキングtop100(6月16日発表 04年3月1日から04年5月30日まで) (Webアーカイブ)

さてそのレーティング制が導入された2004年のトップ100のポイント結果を見てみましょう

01位2684
10位2658
30位2623
50位2610
100位2584

1位と100位で100ポイント(2~3勝程度)の差しか無く、かなりの接戦であると伺えます。
ランキング top 1000(2005年6月23日発表)

そしてお次は2005年のTOP100の結果です

01位2749
10位2680
30位2634
50位2617
100位2594

去年とそんなに変わらないですね。仮にレートを100位圏内ぎりぎりの2600まで上げるとすると初期値から+1600のため、無敗と仮定しても45勝近くの勝利数が必要であり、もちろん負ける事もあるので合計60試合前後の対戦数が必要だと思います。

また2002年~2005年辺りからはかなりインターネットが世間に浸透してきており、詳細な大会結果やデッキレシピなどが誰でも閲覧できるような時代になります、この時代はみなが世界大会を夢見て、毎週公認大会で腕を競いあっていました。それに伴い競技レベルも高まり、当時のプレイヤーの熱量はすさまじかったです。

遊戯王界一番の功績と言っても過言では無い、遊戯王フロンティアも2004年頃から運営が開始されました。こちらは自身も選考会プレイヤーでもある関西のキロスさんが運営するサイトで、2004年から2009年位までの選考会の詳細なデッキリストやデータを集計・公開し、当時、選考会を目指したプレイヤーなら知らない人はいないという情報サイトです。2009年あたりで更新は停止していますが。こちらのサイトで最新の環境を追っていたプレイヤーも多く、フロンティアの更新が止まると同時に遊戯王から離れたという人も少なくありません。幸いな事に今でもこちらのサイトは残っており、当時の環境を知りたい人にとってはうってつけのサイトになっています。

この時代には仲間で集まり近場の公認大会に遠征してポイントを稼ぐ、チームというグループがいくつも生まれ、サークル活動のように
プレイヤー同士で交流し対戦し親睦を深めあっていました。

当時のプレイヤーの中でも主流だったのがさるさる日記という日記サイト、選考会を目指すプレイヤーは高確率でこの日記を開設しており、大会レポートなどを日記にあげていました。残念ながらさるさる日記は2010年頃に閉鎖、当時のアーカイブは全て消え、デッキリストや当時の資料などは全て消失してしまい残念です……

このような事もあり、2010年あたりを境に遊戯王から離れる人が増え、世代交代が生まれたような感じがしますね。さてそんな感じで当時のプレイヤーの熱量を紹介しましたが2007年辺りから選考会の選抜争いは激化の一途をたどります。

激化するポイント争い

2007年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ) TOP150位までに権利
※ランキング上位150位までのデュエリストの方々に  日本代表最終選考会招待状を郵送
集計期間 : 2007年4月8日(日) ~ 2007年6月3日(日)(※ 2007年06月12日発表)

2007年のトップ150までの順位を見てみましょう

01位4032
10位3358
30位3015
50位2800
100位2510 
150位2278

1位は驚愕のレート4000オーバーです。
続いて2008年の結果がこちら
2008年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ)

01位4696
10位3824
30位3400
50位3232
100位2848
150位2592

こちらも1位は安定の4000越えと圧倒的な数値で独走
2009年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ) TOP150位までに権利
そして2009年の結果がこちら

01位6056
10位5088
30位4568
50位4416
100位4040
150位3768

150位でも3700と2005年の1位より1000ポイントも多い数値です。年々ボーダーのレートは上がっている事がお分かり頂けるかと思います。

レーティングの話に戻りますが、勝つとおおよそ+36ポイント 負ければ-12ポイントなので、基本的には10勝10敗の勝率50%でも、レートは+240とかなり増加します。なので勝率よりも大事なのは試合数をいかに増やせるかなのです。

試合数が多ければ多いほどポイントは増やせるので、本気で選考会を目指す人はポイント集計期間中の土日は全て公認大会に参加、まれに平日も大会をやっている店もありますのでできるだけ参加と、とにかく試合数を稼ぐ戦術が有効でした。

しかし公認大会店舗の数は東京・大阪などの大都市が圧倒的に数が多く、地方プレイヤーは店舗自体が少ないので地方から選考会を目指すのはかなり厳しい状況が続いていました。そのような不満を抱えた一部のプレイヤーからは、選考会は暇人しか出れない暇人選手権だと揶揄するような声もありました。

2009年、世界王者による署名活動開始

そんなユーザーの声を公式に届けようと動き出したのは2008年の世界大会王者でもある日本人プレイヤーでした。この方は選考会集計ポイントでも2008年に1位で4000ポイントオーバーと圧倒的な数値をたたき出した強豪プレイヤーでもあり、間違いなく2008年最も遊戯王を愛しやりこんだ方だと言えるでしょう。その年の世界大会でも剣闘獣を操り数年ぶりに日本を優勝へ導きました。

その世界王者が2009年の集計結果を見て、そのあまりの選考会出場へのハードルの高さを問題視し、プレイヤー側に署名活動を行い、コナミ側へ提出、選考会のポイント制度を廃止し実力重視の選考基準への変更の要望を送るという活動を開始しました。

以下署名の一部内容を紹介します。

近年遊戯王人気の拡大に伴い、現状非常に多くのレーティングポイントを獲得しなければ最終選考会には進出できない(本年度の勝利数ボーダーは80勝とも言われており、毎日公認大会に参加しても平均で約1.5勝という大変厳しい道のりになっています。)

このシステムでは社会人ユーザーはおろか健全な学生等でも時間的な都合で世界大会への挑戦を諦める事になってしまい、せっかくコナミ様側で用意して下さっている世界大会への道のりも遠のいてしまい、必然的に大多数のユーザーが熱い思いで世界の頂点を目指す事が困難な現状となってしまっている事。

・参加者増大に伴い、各店舗様での大会参加可能人数を大幅に上回り、抽選等が実施され、結果公認大会に出たくても出られないユーザーの増加も顕著である事。選考会を目指しているユーザーなら多少は耐えられるものではありますが、地元の小学生ユーザーやビギナーの方の足が遠のいてしまっているのが遊戯王の新規ユーザーを公認店舗から遠ざけている原因の一端である事を考慮致しますと、コナミ様にとってもこの現状は将来的な利益の損失に繋がるのではと危機感を感じております。

我々はコナミ様の方に以下の改善案を提出させて頂きます。
・新しい方式としては、全国に多様に展開されているコナミ様のカードゲーム公認店舗様及び全国のショップトーナメントを開催して下さる大型店舗様等での店舗事に大会を開催し、店舗代表を決定して頂き、更にそこから二次予選、三次予選と開催していく方式・大会参加前のIDの提示と確認の徹底(なりすまし防止の為)以上の改善案の提出をさせて頂きたいと思います

出典:選考会ルール署名文より

この王者の署名の声に賛同するプレイヤーは多く集まり、無事に大量の署名はコナミへ届けられました。この世界王者主導の署名を受けてコナミはそのユーザーの声に答え2010年の選考会から大幅な制度改善を行いました。予選期間内に30マッチ数以上の試合を行ったプレーヤーの中から勝率が高い順トップ150に選考会の権利を与えると発表

今までは出れば出るだけ有利な仕組みでしたが、30マッチという数は社会人や学生でも十分こなせる試合数であり、その中から勝率が高い強者のみが選出されるということで暇人しか出れないシステムは改善されたかのようにも思えました。しかし、その2010年の集計結果で一波乱事件が起こりました。

それでは2010年の集計結果を見てみましょう
2010年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ) TOP150位までに権利

01位65勝0負 100%
10位41勝0負 100%
30位35勝0負 100%
50位31勝0負 100%
100位30勝1負 96.8%
150位34勝3負 91.9%

50位までは驚異の勝率100%なのです。全国での勝率順となったため、基本的に負ける事は許されず異常な勝率を維持しなければ選考会への道は開かれませんでした。そしてその勝率を維持するために身内同士で参加し勝ちを譲ったり、負けそうになるとカードをやるから負けてくれと交渉したり。勝ち星に関わる不正が相次いだらしいです。一体どうやったらみんなが納得する方式に出来るのか。改善してもまた新たな問題点が生まれ、大会に対するマイナスイメージと参加者のモチベーションは落ちる日々が続いていました。

そんな中2010年の選考会結果の発表の中、また新たな火種が燃え上がります。それはこの署名活動を起こし、制度改善を行った張本人2008年の世界王者のブログからでした。本人の過去の日記によると2010年の選考会集計期間の戦績は30マッチで19勝11敗とかなり不振であったと語られています。

しかし集計結果が発表されると、そこには29勝1敗という選考会ボーダーに十分達する好成績な結果になった王者の名前が掲載されていました。その理由は本人の口から語られています。当初の19勝11敗のIDを捨てて、新たなIDを作成し、それでボーダーに乗るような新たな戦績を作り上げたとの事でした。

王者の署名の中には大会参加前のIDの提示と確認の徹底との記載があり、不正を排除したいという当初の理念と真逆の行動をしてしまった王者の行動に当時批判が殺到しました。

ブログの中の王者の謝罪文の中には 複数IDの所持はルール違反で、罰則の対象です。だから俺がとった方法は「紛失」の一択でしたと語られています。10個持ってようが20個持ってようが 最後に選考会に出れるIDの作成に成功すれば 後のIDは全部「無くした」って言えば誰にも罰する権利も仕組みも無い というルールの穴

王者はコナミのOCG事務局に電話で確認を取り、IDを作り変えるのは不正に該当するがIDを紛失してしまった場合は申告すれば新しいIDを作って下さいとの回答が帰ってきたと語っており、その回答に甘えてしまったと告白しています。

実際にトップ150に入るには34勝3敗の勝率91.9%以上の成績を取らなければならず、トップ100に至っては30勝1敗の勝率96.8%以上なので
普通に考えて、不正などをせず真っ当に大会に臨んで、この成績を収めるには実力はもちろんのこと、相当な運も必要になってくるでしょう。王者以外にも実際にこの手法を悪用しIDをリセマラし権利を取ったプレイヤーも少なからずいたでしょう。しかし、ルールを変えるきっかけを作った張本人である王者が不正に手を染めてしまったという事で当時大きな波紋を呼びました。

王者はその責任を取り、今回権利を得た選考会は辞退すると表明しましたが、ブログのコメント欄では300件近くのコメントが書き込まれ
王者を非難する者も多くいました。しかし避難する声も多い一方わずかに擁護の声もありました。

ルールの穴とプレイヤーのモラルについて

これは当時の選考会を目指していたプレイヤーしか共感できない感情かもしれませんが、当時はルールを作っているコナミ公式の裁定が絶対であり、そのルールの中で行われるわずかなモラル違反は許容されていました。

例えを出すと、ダストシュートとマインドクラッシュの手札確認からのハンデスコンボです。

本来ダストシュート等で相手の手札を確認した後ならば、手札を確認済みなのでマインドクラッシュを安全に使用できますが対戦中、相手がフェイズ確認でメインまで何かありますか?などの確認を怠り、相手の了承を取らずに勝手にメインフェイズに入り、カードをプレイ。そのプレイしたカードを見た後で、さっきメインフェイズに入る事を自分は了承していないのでスタンバイフェイズに巻き戻してマインドクラッシュでそのカードを宣言し落とすという話は有名だと思います。

このプレイを見て、不快感を感じたり卑怯な奴だなと思う人もいるかもしれませんが、選考会集計期間中の公認大会ではみなが真剣勝負、なにしろたった一敗で選考会の道が絶たれてしまうわけですから、本気で選考会を目指すプレイヤー同士の間では、こういった行為もやられたほうが悪い。ルールに則っているのでなにも問題が無い、それを防止するためにもフェイズ確認をしっかり行うべきというのがトッププレイヤー間の共通認識でした。

他にもサイドボードに非常食やご隠居の猛毒薬を複数積んで、試合が長引いた場合、制限時間ギリギリになった所でライフ回復カードを使いライフポイントを相手より上にした状態でタイムアップを迎え、その場合ルールに則り、タイムアップ時のライフポイントが多いほうが勝者になるとのルールがあり、戦略としてエクストラターンを利用しての特殊勝利を狙う戦法も、もちろん合法でした。

そうルールは絶対なのです。ですがそのルールに穴があり、コナミに確認を取ったうえでその穴が塞がれなかったのが、王者が不正に手を染めてしまった原因でした。これ以降王者は大会シーンから姿を消し、隠居するようにその影を潜めていってしまいました。その後もこの勝率順の選考方式は2012年まで続きます。やはり1敗も許されないような異常な成績の要求はしばらく続きます。

2011年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ) TOP50位までに権利 (東日本大震災のため予選期間大幅縮小)

01位51勝0負1分 100%
10位39勝0負4分 100%
30位35勝0負0分 100%
50位30勝0負0分 100%
100位20勝0負0分 100%
1000位60.9%


2012年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ) TOP150位までに権利

01位58勝0負0分 100%
10位43勝0負8分 100%
30位39勝0負0分 100%
50位36勝0負1分 100%
100位32勝0負15分 100%
150位38勝1負1分 97.4%

2013年度 国内ランキング TOP1000 (Webアーカイブ) TOP100位までに権利

01位57勝0負0分 100%
10位45勝0負0分 100%
30位43勝0負3分 100%
50位39勝0負5分 100%
100位35勝0負1分 100%

しかし2013年になると、そんな勝率順の選考とは別枠で店舗代表決定戦からのブロック代表決定戦という枠が追加されます。

チャンス倍増!? ランキング戦のほかに「予選トーナメント」による予選を新設! (webアーカイブ)

こちらは各地域ごとの公認大会店舗の一発勝負のトーナメントで勝ち上がった者がブロック代表決定戦へ進め、さらにそこから勝ちあがったブロック上位2名が選考会へ招待されるという仕組みが生まれました。このシステムは初代東京ドームの大会予選の形式に似ており、まさに原点回帰とも言える変更だったと思います。

2014年 店舗代表決定戦概要 (1年に3回開催) 合計150名に権利
2015年 店舗代表決定戦概要 (1年に3回開催) 合計150名に権利
2016年 店舗代表決定戦概要 (1年に2回開催) 合計150名に権利

異常な勝率を維持しなくても日本代表になれる枠が追加されこの仕組みはやはり好評だったのか。2014年から勝率基準の選考基準を撤廃し、店舗代表からのエリア代表という仕組みで勝ち上がった者のみが選考会へ参加できる仕組みへと変わりました。そして大会の実施期間も今までは3月~6月に固定されており、その期間だけは異常な熱を入れるプレイヤーも多かったですが、半年間の間に数回の店舗代表戦が行われるようになり、それ程多くまとまった対戦をしなくても世界大会へ出れる可能性が生まれ。されに住んでいるエリア毎の予選にしか出れないので、地方プレイヤーにも平等にチャンスが生まれるようになりました。

2014年になってようやく、全てのプレイヤーに平等で公平なシステムが完成したような印象を受けます。開始が2003年なので、およそ10年かかった感じですね。

そしてこのエリア毎の店舗代表戦という発想は王者が出した署名の中に記載されていた内容そのままでもあるのです。王者の意見を最初から素直に参考にして、勝率順の制度などを初めから実装しなければこんな異常事態にはならなかったのではとも思います。

以上が選考会の選考基準変化の歴史です。いかがだったでしょうか?現在コロナ禍でOCGの世界大会などはできなくなって残念ですが、デジタル面でのゲームとしてのマスターデュエルの発表もあったりと今後の世界大会の流れも変わっていくと思います。昔を知らない現在の遊戯王プレイヤーはこのような殺伐とした世界大会の椅子争いがあったとは知らない人も多いと思いますが、こんな時代もあったんだなあと昔の遊戯王に少しでも興味を持ってくれたら嬉しい限りです。

今回の記事はこのへんで

  • この記事を書いた人

メタポch

99年~シンクロ登場辺りまで遊戯王OCGをプレイ。10年以上の時を経て、初期の遊戯王の面白さを布教・記録するためyoutube・サイトなどで情報発信中。

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