歴史

参加者殺到で途中中止!? 「決闘者伝説in TOKYO DOME」を考察

東京ドーム

決闘者伝説in TOKYO DOMEとは?

決闘者の王国編をきっかけに遊戯王カードは爆発的なブームを巻き起こし、その人気にともない、とある超大型イベントが公式よりアナウンスされました。1999年8月26日 「決闘者伝説in TOKYO DOME

決闘者伝説in TOKYO DOME 開催告知

出典:集英社 週刊少年ジャンプ 1999年24号 136~137頁

このイベントはGB版 DMⅡとOCGの両方で日本一を決める初の公式全国大会、1999年2月にGB版DM1の全国大会は1度行われていましたが
OCGの全国大会はこれが初めてということもあり、全国の決闘者はこのイベントにさぞかし期待しました。

しかし、このイベントは運営の不備から参加者による暴動が起こり、機動隊も出動するなど 大きな事件へと発展します。新聞やニュース番組などでも大きく報道され 当時を知る人は強く記憶に残っているかと思います。

では、なぜこのような暴動が起こったのか?その理由を順序立てて説明していきます。

驚異の混雑が生まれた理由

そもそもこのイベントは当初、抽選で大会参加権利を得たGB部門の出場者1万2000人を中心としたイベントを予定しており、その大会の様子をスクリーンでライブ中継し最後まで観戦した人には記念の限定カードを配布すると案内されていたようです。出場者とは別に観戦者も限定カードがもらえ、全国ナンバー1の決闘者が決まる瞬間を生で見れるという、夏休みの思い出としては最高なイベントだと思います。

しかしイベントが近づくにつれ、少年ジャンプを会場へ持ってきた人なら誰でも入場できるように入場条件の緩和が告知され、さらには会場限定パックの発売も告知され地方から遠征する人も大量に発生する要因を生み出しています。そして開催当日を迎えることになりました。

運営側は全国的な遊戯王人気の過熱を予想できなかったのか、東京ドームには6万人をゆうに超える人数が終結し、収容人数5万人ほどの東京ドームのキャパシティをもってしても+1万人以上のキャパオーバーが発生しており、会場は一瞬にして足の踏み場もないような超過密状態になってしまいました。会場の外にも長蛇の列は続き、あまりの人混みに入場を諦めて帰る人も多くいた事でしょう。

当日販売の PREMIUM PACK1 が巻き起こした混乱

当初のイベント進行予定表では12時開始17時30分終了でイベントは全て終了する予定でした。しかしその予定は大きく崩れる事になります。当日、大会参加とは別にPREMIUM PACK1という遊戯王初めての限定パックが発売されると告知された事もあり、

このパックには初めて、封印されしエクゾディアの胴体も封入されると判明、ついにエクゾディアがOCGで使えると、大会観戦よりもこのパックの購入を目的として会場を訪れる人が参加者の大半を占めていました。

ただの大会観戦イベントだったら、ここまでの超過密にはならなかったでしょうが、ここでしか買えない限定パックに憧れのエクゾディア。多くの人が惹きつけられたのも無理はないでしょう。しかし問題はそのパックの販売方法でした。なんと6万人が集結した大混雑の会場にも関わらず販売箇所が数か所しか存在しなかったらしく。

販売の開始がアナウンスされると、その数か所を皆が目指した事から会場は大荒れ、ただでさえすし詰めの会場の中から、数万人の人間が行儀よく列を作ってパックを買う事は到底不可能なわけで、パックを買いたくても買えない人間のストレスが次第に高まっていったらしいです。

東京ドーム 中止


出典:東京ドームの「遊戯王」イベントカード販売中止で混乱

その間、DMⅡの大会参加者12000人は予選を行っていましたが あまりの会場の荒れように一時大会は途中ストップがかかっていました。そして運営側は この状況をどうするべきか協議を始めます。なんとその協議にかかった時間が4時間。炎天下の真夏日に6万人の人間が4時間も待ちぼうけ、熱中症をおこし救急車で運ばれる人が多数出るレべルの放置っぷりです。

そして4時間が経ち、夕方18時に差し迫ったころに、ついに運営から大会の中止と延期、限定パックは後日ジャンプ紙上で通信販売を行うというアナウンスが発表されました。しかし、それを聞いた大会参加者やパック目当ての客は4時間待たされたあげく、大会中止&パックが買えないという発表に怒りのボルテージがマックスにまで達します。

こうなってしまってはもう誰にもこの状況を止める事はできません。会場ではスタッフに対する怒号が飛び交い、地獄絵図の様相を呈していました。大会を勝ち上がっていた予選参加者もさんざん待たされたうえに、この発表には納得がいかず、中止が発表された後も多くの参加者が会場に残り抗議を続けたようです。

その抗議は約6時間続き、日付が変わろうかという深夜まで残り続けた人間も約7000人程いたそうです。その粘りに運営は根負けして最後まで残った参加者には大会で配布予定だった限定カードを配るなどしてなんとか怒りを静めて帰宅してもらったらしいです。後日、各地域ごとに貸しホテルなどの新たな会場が用意されGB大会の予選の続きが行われ、無事に優勝者も決定。

決闘者伝説in TOKYO DOME 中止のお詫び文 

出典:集英社 Vジャンプ 1999年11月号 26頁

限定パックもジャンプ・Vジャンプ紙上で通信販売され、とりあえず事態は収束しましたが参加者一同のコナミ及びジャンプ運営側への不信感は拭えず遊戯王史に残る大失敗イベントとして20年以上経った今でも語り継がれています。以上が1999年8月26日、東京ドームで起こった事件の全容となります。

限定パックの販売方法さえうまく確立できていたらここまでひどい結果にはならなかったと思いますが、この事件で反省したのか、その後に発売されたプレミアムパック2からは会場限定仕様のものとレアリティを一部変更した一般販売仕様のものなどを用意し、プレミアムパック3からは一般の店舗でも購入できるように売り方を変更して限定商法は控えられる形に変化していきました。

また後日プレミアムパックを通信販売で購入するためには当日会場へ行った証明としてパンフレットや参加賞などを同封しなければいけませんでしたが、当日の最も賢い動きとしては、パンフレットを複数枚貰い、早々に帰宅して通信販売でに備えるという選択肢だったのかもしれません。

この時代はまだ、カードゲームにこれほど熱狂する人間がいるとは到底考えられていなかった時代であり、改めて当時の遊戯王カードの人気の高さがうかがえる事件だったのではないでしょうか?

今回の記事はこのへんで、そして次回の記事では今回の東京ドーム大会の入賞商品なども含まれる、遊戯王 初期の超高額カードランキング 発行枚数と現在の価格推移を検証します。

  • この記事を書いた人

メタポch

99年~シンクロ登場辺りまで遊戯王OCGをプレイ。10年以上の時を経て、初期の遊戯王の面白さを布教・記録するためyoutube・サイトなどで情報発信中。

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